5話 カテカテ誕生秘話【最終章】前編
こんにちはー!
広島安佐南区緑井大人のお好み焼きカテカテのオーナーUme(うめ)です!
ついに!
クライマックスです!
お店をオープンしてからいつ廃業してもおかしくなかったそんな状況を乗り越え今ではたくさんの人から愛されるお店になりました!
そのオープンから今までを包み隠さずお話しします!
それではお楽しみください。
2012年7月梅雨も明け本格的な夏の始まり
Bali-A(バリエー)緑井店はオープンしました。
オープンと同時に求人募集して集まってくれたスタッフたちと共に気合十分で初日がスタート!
最初は緊張しまくりで注文が入るととにかくお好み焼きを焼くことで精一杯でした。
そんな日を何日も繰り返していき徐々に慣れていきました。
スタッフの動きも良くなりだんだんお店としても活気がでてきたかと思いきやそんな日も長くは続きませんでした。
最初はお店がオープンしたばかりなのでお客さまも来てくれていたのですが、2か月も経つとどんどん客足は減り自分で経理していると
「あれ?赤字!?なんで?」
頭を悩ませていると完全に売り上げに対して人件費が(スタッフの数)多いことが分かりすぐに修正したもののそれに加え客足も伸び悩んでいる状態。
赤字は何とか回避したものの給料にしたら月に0~3万円程度とてもやっていける額ではありません。
そんな状態を約1年続けました。
それでも僕はうまいものを提供し続けていればいつかうわさが立ち繁盛店になれるだろう。
だから今は耐える時だ!そう思ってやってました。
耐えることが努力だ!と信じて。
そうしているとネットでの口コミやブログなどで良い評価のコメントなど頂けるようにもなりました。
よし!このままで大丈夫だそう自分に言い聞かせてがんばっていました。
今思えば口コミやブログなどに書いてくれる人たちはマニアなんですよ。
こちらから新しくオープンしたお好み焼き屋ありますよ~と言わなくても常にネタを探しているので、向こうからお店を見つけてくれるんですね。
だからそういう人たちは早い段階でお店を見つけてくれるのですが普通の人には全然知ってもらえていない状況なんです。
それがお店のことを知ってもらえてると勘違いをしていたんですね。
当たり前ですが、お店は相変わらず繁盛店にはほど遠い状態でした。
そんな中ちょうど1年が経とうとしていた頃
スタッフが1人また1人と辞めていく時期があったのです。
とうとう残ったのはたった1人。
その子の名前はなっちゃんと言って当時看護科の大学に通うメガネをかけたかわいい女の子です。
大体教えたことをは1回で覚えてすぐに実践してしまうものすごく気の利く優しい賢い子でした。
個人的にはかなり相性がよく本当に一緒に仕事がしやすい子でした。
最終的に大学卒業まで約4年の間お店を支えてくれたお陰で今こうして営業出来ているといっても過言ではありません。
お店はうまくいってなかったですが人には恵まれていました。
それもうまくいってなかったら今はなかったと思っています。
そしてウチの奥さんも正式に働くことになりました。
働くことになった理由は純愛編で→
何とかお店も軌道修正でき営業を続けていました。
そして相変わらず考えも変わらずとにかく長く続けていればいつか繁盛すると信じて続けていたのです。
ですが現状が変わらることはありませんでした。
そんな売れないお店でなぜ生活できていたかというと僕の実家で暮らしていたんです。
もちろん奥さんも同居でそうでなければとっくに廃業です。
情けないです。
お店を出す前は自信満々で成功すると思っていたのにフタを開けてみればまったく逆だったのです。
そうしてオープンして2年6カ月が経つ頃
ウチの奥さんの様子がおかしいことに気づきます。
いつもとは明らかに元気がないそんな日が数日続いていたので
「どうしたの?」
「調子悪い?」
そんな僕の問いに対し驚くべき答えが返ってきました!
もしかしたら分かる人には分かっちゃいますかね?
さて、何があったのでしょうか!?
今回はここまで!
ここまで読んでいただきありがとうございます!
次回もお楽しみに!